聴いていた音と録れていた音があまりにも違う「理由」
標記の通り、誰もが例外なく抱く録音に関するごく初期的な疑問を、3つのテーマから解説してみようと思います。
テーマ1、周囲の雑音ばかり耳につく
距離の2乗に反比例
ある一点から音が発せられたとすると、音は四方八方へ広がりながら減衰してゆきます。つまり同じ大きさ(強さ)の音を近くで聞いたのと遠くできいたのでは、近くでは大きく遠くでは小さく聞こえる理屈です。どのくらい減衰するかというと、物理的には距離の2乗に反比例して減衰するとされています。つまり、距離が2倍になると音の大きさ=音圧は4分の1、実際には音源にも一定の大きさがあり、室内では反射音の影響もあるので理論通りにはいかないですが、音源から1メートルのところで聞いていた音が、2メートルでは4分の1に、逆に10センチにまで近付けば1,000倍の大きさになります。実際にマイクロホンやレコーダーはこの近い音源と遠い音源の音の勢力関係を忠実に記録し再生します。一方人間の感覚は距離の2乗に反比例—よりもっと緩やかな変化にしか感じられません。そういった物理と人間の感覚の不一致が、雑音ばかり強調されて録音されてしまう(と思われる)現象にあらわれると考えられます。いわゆるタイピン型マイクで録音した時に、聴覚的にはほとんど聞こえないような、マイクと服のこすれる音が実際には凄まじい音量で録音されてしまうのは物理現象であり、致し方ないことなのです。
心理フィルター
雑音が目立つ理由として、人は常に自分の興味のある音には敏感で、関心のない音には鈍感だということがあります。激しいざわめきの中でも、自分の名前や自分に関する会話、自分の関心事に関する語句は選択的に聞きとってしまうということがあります。(「カクテルパーティー効果」ともいうらしいです)一方壁掛け時計や冷蔵庫、蛍光灯の安定器などは、平素音らしい音もたてない静かな機械だという先入観があるので、普段はその音を気にもとめずにすごしています。しかし録音してみると結構うるさいというのは、本当はそれなりに音を出していた—というのが真相なのです。
であるなら、スピーカーから再生された音にもそういう態度で臨めば、雑音は気にならない—はずなのですが、人間の聞きたい音を選んで聞くという能力は、興味のある音がどこから聞こえてくるかという音に対する3次元の方向感覚と密接に関係しているようで、スピーカーからまとめて出る音にはその感覚が働きにくい、—–と私は考えています。
よって、私のリクツでは、録音~再生の忠実度が向上し、よりリアルな音場が再現されれば、雑音がより気になりにくくなる~期待はあります。
知らずにかかっている自動録音レベル調整機能=AGC(オートゲインコントロール)
一般に家電店の店頭で売られている安価なレコーダーは、マイク入力からの録音の場合、特に意図して切り替えない限り自動録音レベル調整機能が働いた状態で録音が始まるものが多いようです。この自動録音レベル~は、機械が自動的に録音レベルを設定してくれるもので、小さな音は持ち上げて、大きな音には制限をかけて自動的に録音レベルを変える機能なので、音の消え際や(平均音量が下がった)いわゆる「間」等で感度が上がり、背景の雑音を実際より相対的に大きく録音してしまうことになります。Youtubeの動画などでは、よくこうした音声に遭遇します。
デジタルレコーダはもともと機械固有の雑音が少ないので、感度を上げる敷居値が低く、相当微小な音量にならないと感度アップしないようですが、不自然な雑音レベルの昇降を避け、目的の音の抑揚をより忠実に録音するためには、この機能を解除することが必須条件となります。
テーマ2、自分の声が特に変に聞こえる
誰しも経験があると思いますが、録音した自分の声は特に変です。これは機械のせいでもなんでもなくて、録音された声のほうが、確実に第三者が聞いている本当の!自分の声に近い・・・というのが結論なのです。(←この事実を知ったときはちょっとショックでした)
声を出すと、声帯が震え口腔や胸部が共鳴します。するとその振動が骨格を伝わって耳に届き(骨伝導)、聴覚を刺激します。耳をふさぐと、周囲の音はけっこう小さくなくなりますが、自分の声はその割には小さくなりません。その時の声が骨格から伝わる声と考えてよいかと思います。つまり体の内部から伝わる声と、空気振動として耳に戻ってきた声が合成された声が、自分の知っている自分の声になるのです。よってたいへん気色悪い話ですが、自分の声は自分一人しか知り得ない声なのです。
録音された自分の声が特に変なことには、そういうものだと思って慣れるほかないようです。
テーマ3、満足に録音出来たためしがない
アマチュア故の、評価の厳しさ
自分で録音した音源(特に録音レベルを手動で設定したもの)は、日頃私たちが聞いている放送や市販の音楽ソフトの音と比べると、同じ条件で聞く限りまず例外なく、平均的にか細い、貧弱な音に聞こえます。何故か、それは放送や音楽ソフトの音声の多くは専用のスタジオでプロの録音技術者によって収録され、放送用・あるいは音楽ソフト用にコントロールされた言ってみれば商品化された音声〜だということです。ゆえに普段耳慣れた放送や音楽ソフトの音を基準にすると、何気なく普通に録音ボタンを押して録った~生録の音にがっかりするのはむしろ当然かもしれません。
しかしながら(意識的であるなしにかかわらず)録音が原音に対して忠実に、高品位になされていれば、高度にチューニングされた再生環境では度肝を抜くような音響のリアリズムが再現できますし、そういう音源は後の処理によって放送・ソフトのような存在感のある、押し出しの良い音に加工するすることが可能です。(副作用もありますが)いわば生録の音は素材、放送・ソフトは加工品です。同じ条件では比べられないと考えた方がよいと思います。
聴覚は無限、媒体は有限
マイクロフォンを使った録音、いわゆる生録を試みたことのある方なら体験的に分かっている方も多いかと思いますが、環境音や生の音楽演奏は実に広いダイナミクスを持っています。録音はそのダイナミクスを極力損なわないように計らって、一定の制約を持った電気回路~媒体に収める営みです。
たとえば(古い話ですが)カセットテレコの内臓マイクで録音すると、磁気テープ録音特有のシィーというノイズに加え、カセットを回している機械自身の回転音まで録音されて、外から入った微小な音はそれらに埋まってしまって聞き取れません。また大きな音はバリバリに歪んで元の音とは似ても似つかない音になって記録されてしまいます。また非常に高い音(金属のキンとした音)は随分と衰えて録音されてしまいます。いってみればこれが(機器の性能にもよりますが)カセットテープの録音媒体としての性能ということになります。最近のデジタルレコーダーにはかつてのカセットテープのよなシィーというノイズはほとんどありません、モーターやメカの音もなく、高い音も鈍ることなく忠実に録音できます。
自然界の音を忠実に録音(再生もですが)することは極めて困難なことですが、時に限られた器であるテープやディスクから、まことに生々しい記録が再現される時、やはり感動してしまいます。